新宮城跡
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徐福の宮(遠景) |
徐福の宮 |
阿須賀神社境内に、弥生時代から古墳時代へと移りかわる頃の多くの土器類が出土しました。さらに、住居跡も発見されました。この住居跡は、中央にある直径6メートルの住居跡(南円)が最も古く、その上にかかるように直径5.2メートルのもの(北円)ができ、さらに南東部に1辺が4メートルの方形ができたと考えられます。このように年代の違う住居跡が1ヶ所から重なるように出土するのは珍しいそうです。この竪穴式住居は、昭和51年に復元されました。(2008.11.19)
復元竪穴住居 |
復元竪穴住居説明板 |
情報提供:市民の力わかやま
秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を世界中を探し求めて旅をした徐福が発見したと伝えられているのが「天台烏薬(てんだいうやく)」という常緑樹クスノキ科の低木です。原産地が中国の揚子江以南の中国浙江省にある「天台山」から「天台」、実がカラスのように黒くなることから「烏薬」⇒「天台烏薬」と名付けられたと言われています。
新宮市では、楕円形の葉を用いて清涼飲料水(徐福之精)、菓子(熊野の宝道)、入浴剤などとしてお土産物屋さんなどで販売しています。薬用部の根は現在のところ使用されていないようです。
なお、天台烏薬の木の下のお墓は徐福のお墓です。(2008.10.9)
天台烏薬の葉と実 |
天台烏薬の由来説明板 |
情報提供:市民の力わかやま
新宮城からすぐ、熊野川の河ロを1.3kmほど遡った西岸の弧丘、蓬莱山の麓に阿須賀神社があります。阿須賀神社を頂点とした2等辺三角形のそれぞれの角に速玉大社と神倉神社が鎮座する位置関係にあります。
主祭神は事解男命(コトサカノオノミコト)で、蓬莱山をご神体とする自然信仰の施設であったと考えられています。しかし当社は中世の大火災のために古文書、旧紀をことごとく失いましたので詳しいことが分かっていませんが、多くの神宝を有していました。国宝指定のもの十五点は、すペて国立京都博物館に保管されています。また境内発堀物は境内の新宮市立民俗資料館に保管きれています。
この阿須賀神社は、速玉大社の祖神でもあり、平安時代には阿須賀王子として信仰を集め、熊野詣の人々が参詣に訪れました。境内には社殿や拝殿の他、徐福の宮や弥生時代の竪穴式住居跡、歴史民俗資料館などがあります。(2008.10.5)
情報提供:市民の力わかやま
新宮市内から熊野灘(太平洋)を一望できる新宮城跡に与謝野寛(後の鉄幹)の碑が建っています。
明治39年、北原白秋、吉井勇、茅野蕭々らと共に熊野を訪れた与謝野寛は、新宮城趾から遥かな熊野灘を望んで和歌(うた)を詠みました。碑にはこの和歌(うた)が刻まれています。
「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰ぞ涙すや城のゆふべに」
その後、42年に大石誠之助の招きで再びこの地を訪れた与謝野寛は、新宮の若き望郷の詩人・佐藤春夫に強い影響を与えました。(2008.9.28)
情報提供:市民の力わかやま
「夢熊野」は、故中上健次氏夫人:紀和鏡作、熊野を舞台に丹鶴姫(田鶴姫)を主人公にした一大歴史伝奇ロマン小説です。集英社出版。
平家と源氏の栄枯盛衰を、熊野の眼で保元・平治の乱から鎌倉幕府の成立の時代まで描いています。熊野別当の妻であり、頼朝・義経の叔母でもあった美しい丹鶴姫の大らかで自由奔放な行動と謎に満ちた生涯を、神秘的な熊野の地・新宮城(丹鶴城)を舞台に描いたものです。霊力を持つ熊野比丘尼の長でもあった丹鶴姫が頼朝と共に保元の乱に参戦したり、鎮西八郎為朝が丹鶴姫を助けたり、また謎の忍び集団「八咫烏(やたがらす)」は、熊野の闇の奥深さを浮かび上がらせます。丹鶴姫が弁慶の実母との設定などドラマチックな構成で、一気に読み進ませる壮大な歴史物語に仕上がっています。熊野を知るための絶好の一冊です。是非一読を。
舞台は「日本風景街道 熊野」のエリアと重なり、NHK大河ドラマにぴったりの波乱万丈の作品です。採用されれば、最大の「熊野」のPRになるでしょう。
なお、中上健次・紀和鏡氏夫妻の長女で作家の中上紀(なかがみのり)氏は、今秋2006年の和歌山県文化奨励賞を受賞されました。(2006.12.11)
情報提供:グランドデザイン那智勝浦
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