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浮島の森

浮島の森の写真新宮市の中央部にある浮島(うきじま)の森は、沼に浮かぶ面積約5000平方mの島です。島はスギ、ヤマモモ、ヤブニッケイ他130余種の植物が森を形成しています。昭和2年(1927年)国の天然記念物に指定されました。(2006.3.31)
 湿地に生息するヨシやカサスゲ等が枯れて完全に分解しないまま堆積してできた「泥炭層(水に浮かぶ)」の上に植物の種子が飛んできて形成した森です。北方系から亜熱帯系までの植物が生息している珍しい森なので天然記念物に指定されました。
 昔、「おいの」という評判の美女が大蛇に飲み込まれたという悲しい伝説が残る「蛇の穴(じゃのがま)」が浮島の中央部にあります。上田秋成がこの伝説を元に雨月物語「蛇性の淫」を書いたといわれています。(2008.7.22)

浮島の森
本当に浮かんでいる浮島
伝説の像と碑
浮島伝説の「おいの」像と碑
料金 100円
時間 9:00〜17:00
定休日 なし
駐車場 あり(無料)
TEL 0735-21-0474(浮島の森案内所)
0735-23-3357(新宮市商工観光課)

耳より情報

須川政太郎・カタ(宵待草のモデル)の墓

須川須川政太郎は明治17年新宮市に生まれ、東京上野音楽学校師範科を卒業、北海道松前出身の長谷川カタと結婚して、大正2年鹿児島県男子師範学校の音楽教師として赴任しました。彼はここ鹿児島県で、旧制第七高等学校造士館の第十四回記念祭歌「北辰斜めに」を初め、「夕日直射す」等を作曲し、今なお旧制七高生に歌い継がれています。特に「北辰斜めに」は、一高の「嗚呼玉杯に」三高の「紅もゆる」とならび旧制高等学校寮歌の代表歌として有名です。この須川政太郎夫妻の墓がここ南谷墓地にあります。
 妻のカタは婚前、銚子の海鹿島(かしかじま)に帰省していた時、たまたまこの地に遊んでいた画家・詩人の竹下夢二と相知る縁もなく、夢二の想いをこめた「宵待草」の絶唱が残ったと伝えられています。(2010.4.6)

情報提供:市民の力わかやま

峰尾節堂師の墓と高木顕明師の顕彰碑

新宮市内の南谷墓地には新宮市縁の有名人が数多く眠っています。峰尾節堂(みねおせつどう)師と高木顕明(たかぎけんみょう)師は共に僧侶ですが、世紀の冤罪事件であった大逆事件の大石誠之助に連座して逮捕、死刑の判決を受けました。後に特別減刑で無期懲役になりましたが、二人とも獄死しました。真宗大谷派は、平成8年になって擯斥(ひんせき)処分を取り消し、「非戦を生きた僧侶」として高木顕明師を顕彰し、翌9年に顕彰碑を建立しました。(2009.12.28)

峰尾節堂の墓
峰尾節堂師の墓
高木顕明師の顕彰碑と高木家先祖代々の墓
高木顕明師の顕彰碑と高木家の墓

情報提供:市民の力わかやま

中上健次の墓所

中上健次の墓昭和21年(1946年)新宮市に生まれた中上健次は、新宮を舞台にした血縁・地縁の物語『岬』で第74回芥川賞を戦後生まれで初めて受賞しました。
 ウィリアム・フォークナーに影響を受けた鋭い土俗的な表現で、熊野を舞台にした数々の小説を描き、血族・地縁を中心にした「紀州サーガ(物語)」とよばれる独特の世界を作り上げました。『岬』の続編で代表作『枯木灘』、他に『千年の愉楽』『奇蹟』などたくさんの作品があります。
 熊野をこよなく愛した彼は、新宮市内の南谷墓地に眠っています。墓地には熱心な読者が今でも多く訪れ、花が絶えません。彼の自筆の文字が、墓石に刻まれています。(2008.11.13)

情報提供:市民の力わかやま

畑中武夫の記念碑

畑中武夫の記念碑大正三年田辺市で生まれ、新宮で育つ。日本の電波天文学のパイオニアで同学の父と言われ、天体物理学の世界的権威である。長年の業績が国際的に高い評価を受け、月のクレーターに「ハタナカ」の名前が残されている。代表的な著書に「宇宙と星」があり、現在でも数多くの人に愛読され、天文書としてロングセラーとなっている。宇宙の平和利用に関して国連で演説された程で、単なる科学者ではない。また、若くして他界され、日本の電波天文学が10年遅れたと惜しまれている。現在、母校の新宮高校に「われら地球人」と題した記念碑がある。(2006.12.22)

情報提供:市民の力わかやま


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