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熊野古道大辺路

くじの川の辻地蔵熊野古道大辺路は本州最南端串本町に入り、市街地の北側の「くじの川」に沿って、紀伊姫駅付近へと至ります。その後はほぼ国道42号線に沿って古座川河口付近へ進みます。
熊野古道のイメージとは少し違って険しい山道などはありませんが、田園地帯や海を眺めながら、のんびり歩けるコースです。

くじの川付近の道このコースを歩くなら、JR串本駅から商店街を抜け、長沢芦雪の絵寺として有名な「無量寺」に立ち寄るのがおすすめです。
無量寺からは、いったん駅とは逆の方向に向かって国道42号線と合流し、市街地の北を流れる鬮野川(くじのがわ)に沿って、のんびりとした田園地帯を歩きます。
JR紀伊姫駅付近で再び国道42号線と合流し、雄大な熊野灘に導かれるようにして清流古座川の河口に開けた古座の町に向かいます。国道42号線と合流したところから、国道を串本駅方面に戻れば、名勝「橋杭岩」を経て串本市街地へと戻れます。(2006.3.31)

耳より情報

徳大明神社と丸石信仰

串本町江田は、江戸時代に現串本町の中心部を含む江田組22カ村の中心地であったところですが、現在その繁栄の面影はあまりとどめていません。国道42号線脇に江田の氏神である徳大明神社が鎮座しています。江田組大庄屋をつとめた豪商浦氏の先祖が造営したと伝えられており、今も10月28日に獅子舞の奉納を含む例祭が営まれています。
 この境内に丸石がいくつか置かれていますが、丸石を信仰する風習は熊野地方に多く見られます。力石とも呼ばれることがあり、成人や信仰の証として、石を持ち上げる神事も行われたといいます。(2014.12.24)

徳大明神社
徳大明神社
信仰対象の丸石
信仰対象の丸石
徳大明神社全景
徳大明神社全景

情報提供:古座川街道やどやの会

一里塚の地蔵と古井戸

串本町古座の古座神社の東方裏山に2体の地蔵尊が祀られています。向かって右は高さ153cmと大変背が高い鬼御影造りの地蔵立像で「元禄四年 辛未 六月一日 本誉覚願建立」と刻まれ、元禄4年(1691年)に建立されたもの。首から上の部分を再接合した跡があります。左側の小さい方は高さ53cmの地蔵坐像で「秋夢童子 元文四年九月七日」と刻まれ、元文4年(1739年)に建立されたもの。
 もとは、もう少し東方寄りの旧古座川病院との間にかつて老松を植えた一里塚があり、そこにあった地蔵尊といわれています。
 地蔵の近くには古座川産の宇津木石でできた古い石組みの井戸があり、昔はここから寄港した廻船に水を供給したといわれています。(2014.10.29)

古井戸
画像三列用
(幅160ピクセル)
一里塚の地蔵
一里塚の地蔵
地蔵と井戸の全景
地蔵と井戸の全景

情報提供:古座川街道やどやの会

立江地蔵

串本町田並〜有田間の山間部を通る旧国道は大辺路街道と重なる部分が多いのですが、高場平見の南側の旧国道建設のために大辺路街道を掘削した法面の岩盤の穴に「立江地蔵」が祀られています。
 「四国霊場第十九番札所 立江寺」と刻まれ、四国八十八カ所の根本道場として知られる徳島県の「立江寺」から勧請された地蔵尊で、昭和初期に田並の人が建立したということです。当時、事故や自然災害が相次ぎ、安全祈願のために祀られたと伝えられています。立江地蔵は古座川町の大イチョウで有名な光泉寺境内にも祀られており、四国霊場の信仰が大辺路でも盛んだったことが伺えます。(2014.10.18)

立江地蔵
立江地蔵
立江地蔵1
岩盤の穴の中の立江地蔵

情報提供:古座川街道やどやの会

高場平見の展望台

大辺路街道の優れたビューポイントのひとつが串本町有田の高場平見(たかばひらみ)の展望台です。「平見(ひらみ)」とは海成段丘の上の平らな台地のことで、串本町の古道は磯歩きと平見越えの連続なのが特徴です。
 この高場平見展望台は本来の古道の道筋から少し外れているのですが、ウバメガシなどの豊かな照葉樹林と有田港と枯木灘の絶景が望める所として、古道歩きの際は、ぜひ立ち寄りたいポイントです。(2014.10.11)

高場平見からの展望
高場平見からの展望
高場平見の展望台
高場平見の展望台
高場平見の古道
高場平見の古道

情報提供:古座川街道やどやの会

江田の徳本上人名号碑

江田の徳本上人名号碑串本町江田の国道42号線カーブにある丸山という海に突き出した場所に、かなり大型の徳本上人名号碑が建っています。清貧の思想を説き全国を行脚して多くの帰依者をもった紀州日高出身の念仏行者、徳本上人(1758-1818)を記念する名号碑は全国各地に建てられていますが、和歌山県内には約170基あるといわれています。
 この碑には徳本文字といわれる特徴ある書体で「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれ、右側面に「文政二卯十月六日 名蓮社 譽人中分陀利垂稱阿弥陀 徳本老和尚」、台座に「世話人 友吉」、左側面に「文政十三庚寅 其四月造立之 筆行 井沼郷英」と刻まれています。
 また、名号碑の左の海寄りに、なかば土に埋もれて高さ25cmほどの地蔵立像があり「天保九年 恵訓禅定門」と刻まれています。(2014.9.20)

道と江田の徳本上人名号碑
国道42号線と名号碑
名号碑脇の地蔵
名号碑脇の地蔵

情報提供:古座川街道やどやの会

海蔵寺とイチョウ

海蔵寺とイチョウ串本町江田のJR鉄道に近い山裾に臨済宗妙心寺派の「海蔵寺」があります。境内にイチョウの巨木があり、晩秋には鮮やかな黄色に色づきます。江田は江戸時代には旧串本町域を含む江田組の中心地として栄え、大庄屋をつとめた浦氏の事績が多く残り、この寺院の本堂も浦氏の建立になるものだといわれています。
大辺路の道筋から少し離れていますが、静かなたたずまいの境内はぜひ訪れたいもの。(2014.9.14)

情報提供:古座川街道やどやの会

江田組大庄屋住居跡

江田組大庄屋住居跡串本町江田は、江戸時代には現串本町の中心部を含む江田組22カ村の中心地であったところです。今は、その面影はありませんが、大庄屋をつとめた浦氏住居跡の巨大な石垣や、海岸に残る「殿倉(とのぐら)」と呼ばれた年貢米を収納した倉庫跡の石垣が当時をしのばせてくれます。(2014.8.26)

情報提供:古座川街道やどやの会

矢野熊の矢倉神社

JR串本駅よりやや西の線路沿いに大正時代に建てられた石造りの鳥居があり、その奥にタブノキやオオタニワタリなどの樹木が生い茂った鬱蒼とした一画があります。これが矢野熊の矢倉神社で、江戸時代に建てられた石灯籠と、ほとんど枯れた浅い井戸(泉?)のほか何もない無社殿神社です。神社の由来ははっきりしませんが、井戸(泉?)を祀る神社だったという説と、線路敷設のために削られて無くなった背後の山に磐座があったという説があります。この周辺の畑からは土器の破片が出土しており、古代から集落があったものと思われます。(2014.8.6)

矢野熊の矢倉神社
矢野熊の矢倉神社
矢野熊の矢倉神社2
矢野熊の矢倉神社(拡大)

情報提供:古座川街道やどやの会

南海道地震津浪到達点

潮岬沖の南海トラフを震源とするマグニチュード8クラスの巨大地震は「南海道地震」と呼ばれ、100-150年周期で発生するといわれています。もっとも新しいものは、昭和21年(1946年)12月21日午前4時19分に発生したマグニチュード8.0の地震で「昭和南海地震」と呼ばれています。
 震源に最も近い串本地方は大きな被害に見舞われ、とくに津波が高くなりやすい袋状の湾である袋港では、高さ約6.57mに達する津波が湾内を舐めるように進み、沿岸のほとんどの家屋が破壊されました。この地震で袋港周辺は約40cm隆起したと言われています。
 この袋港の山側に設けられた津浪避難路の上のコンクリートの法面に、昭和南海地震の津浪被害を後世のために記憶に留めようと、津浪の到達点を示す黄色の線が描かれています。長澤芦雪の「龍図、虎図」などの障壁画で有名な無量寺は、元々この近辺に建てられていましたが、宝永南海地震(1707年)で倒壊し、現在の場所に再建されました。(2014.7.22)

津波到達点
津波到達点(正面から)
津波到達点2
津波到達点(側面から)

情報提供:古座川街道やどやの会

吐生の宝篋印塔

串本町吐生(はぶ)のお滝さんから有田川源流に約1.5kmほど遡った、林道 和深鶴川線と出会うところの谷に完璧な形の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が残っています。
 江戸後期の様式で、正面に「大乗妙典一字一石之塔」と刻まれ、享和三年(1803年)の年紀が入っています。願文から、雨乞いと五穀豊穣を願って建てられたのではないかとみられています。
 また、牛鬼や河童から子供を守るために、ここにお経を埋めたという伝説もあります。(2014.7.11)

吐生の宝篋印塔
宝篋印塔
吐生の宝篋印塔(遠景)
吐生の宝篋印塔(遠景)

情報提供:@@古座川街道やどやの会@

巨大魚伝説の大師堂

大師堂串本町和深の東平見にある弘法大師堂には「おおな魚」という巨大魚にまつわる伝説があります。この魚は実際に春に和深沖の深海で穫れるイシナギ(スズキ科)という魚で、体長2m、体重300kgにも達する巨大魚です。大辺路には弘法大師信仰と結びついた伝説が、あちこちに残っていますが、これもそのひとつです。(2014.6.13)

<おおな魚伝説>
 あるたいへん寒い日、みすぼらしい旅の僧が漁師の家を訪れ、寒く空腹で倒れそうなので、何か食べる物をくださいと言いました。漁師の家ではあいにく食事を済ませたばかりで、漁に持って行くためにこしらえた弁当しか残っていませんでした。漁師は、一食ぐらい抜いてもよかろうと、自分の弁当を旅の僧に与えました。僧はお礼を言って、「この沖一里、深さ百尋の海の底に大石があり、そこで「おおな」という大きな魚が穫れる」と告げて去って行きました。
 春になって、たいへんな不漁が続いたとき、漁師は僧の言葉を思い出し、半信半疑のまま言われた場所に行ってみると、本当に大きな魚が穫れました。みなは、あの旅の僧はお大師様だったのだと、うわさしたということです。

巨大魚伝説の説明板
巨大魚伝説の説明板

情報提供:古座川街道やどやの会

田並の矢倉神社

田並川を遡った山間の集落の外れに「矢倉神社」と呼ばれる場所があります。巨木に囲まれた空間には山に向かって石灯籠と簡素な石垣、そして正面中央に丸石が祀られています。神社と呼ばれるにしては鳥居も無く、社殿も祠もありません。こうした神社を「無社殿神社」あるいは「古代社」と呼んでいます。
 幕末に紀州藩の手で編纂された『紀伊続風土記』には、熊野地方の村々に「矢倉神社」「矢倉明神の森」などと書かれた神社が多く記述されています。それらの多くは木や岩などを神として祀り、なじんだ記紀神話の神の名はありません。こうした神社は古代の自然崇拝の名残をとどめる原始的神社と考えられています。矢倉神社の多くは明治の神社合祀令によって消滅したものが多いのですが、今も地域の人々によってひっそりと祀られている無社殿神社も各地に残っています。(2014.6.11)

田並の矢倉神社
矢宮神社
田並の矢倉神社のご神体
ご神体の丸石
矢倉神社の周りの空間
周りの巨木

情報提供:古座川街道やどやの会

稲荷神社の大楠

稲荷神社の大楠 串本町西向(旧古座町西向)の西向小学校近くにある稲荷神社には樹齢数百年のクスノキの巨木が林立しています。この神社は創建年代は不明ですが、中世に鎌倉幕府の命を受け、熊野海賊取り締まりと南海道警護のために古座川河口右岸の地を支配した小山氏が氏神として創建したものといわれています。例祭は毎年7月22日で、地元の青年会が伝統の古座流の獅子舞を奉納します。(2014.6.4)

情報提供:古座川街道やどやの会

田並の庚申塔

田並の庚申塔串本町の田並川を少し遡ったところに「庚申橋」があり、その右岸の町道法面に、串本町の文化財にも指定されている大型の庚申塔が祀られています。本尊の青面金剛(しょうめんこんごう)像の頭上に「庚申」の文字が刻まれ、台座に「享保十歳乙巳三月吉日」の年紀が入っていて、享保10年(1725年)の作とわかります。庚申信仰は江戸時代に盛んになった民間信仰で、各地に庚申講が生まれ、庚申塔がつくられました。(2014.5.2)

情報提供:古座川街道やどやの会

鳳凰の壁画

串本町(旧古座町)津荷(つが)の永明寺本堂に、地元出身の洋画家、浜地青松(はまち せいまつ)画伯(明治18年〜昭和22年)の鳳凰を描いた鮮やかな壁画が残されています。浜地青松は兄を頼って渡米し、ボストン美術学校卒業後ニューヨークやパリで活動。作品「赤い帽子」が帝展特選となり、洋画家としての地位を確立しました。昭和3年には和歌山県の依頼で瀞峡の絵を宮中に献上。従軍画家などを経て、昭和19年帰郷し、昭和22年、63才で没。地元の津荷小学校にあった「暖炉」など、いくつかの作品は和歌山県立近代美術館に収蔵されています。永明寺の壁画は大正14年の作品。(2014.4.17)

鳳凰の壁画
鳳凰の壁画
鳳凰の壁画2
鳳凰の壁画(拡大)

情報提供:古座川街道やどやの会

八坂神社と例祭

古座川町池野山の八坂神社は池野山区と高池上部区の氏神で、社殿の背後の鎮守の森は貴重なシダ類が自生し、古座川町の天然記念物に指定されています。現在の御祭神はスサノオノミコトですが、『紀伊続風土記』では「矢倉明神森」の名称となっており、「木を祀る」と記されていますので、もともとは当地に多く分布する自然崇拝の古代的神社であったと思われます。
 例祭は旧暦六月の丑の日でしたが、現在は7月15日に近い日曜日に行われています。神事のあと獅子舞が奉納されますが、古座川流域を中心にして熊野に広く分布する古座獅子のひとつで、古座獅子は江戸時代初期に古座組大庄屋であった中西氏が伊勢から古座へ伝えたという伝承をもっています。
 神社の前に、今は埋め立てられていますが、かつて熊野で盛んに行われていた農耕牛の操作技術を競う「田掻き」用の田んぼがありました。(2013.11.25)

八坂神社
八坂神社
八坂神社の例祭(古座獅子)
八坂神社の例祭

情報提供:古座川街道やどやの会

地蔵峠の道標石

地藏峠の道標石古座川町池野山と串本町佐部(旧古座町)を結ぶ山越えの道が大辺 路地蔵峠ルートです。古道の間を縫うように自動車道の県道田原古座線が走っていますが、峠付近で山道の古道に上がる途中に道標石があります。
 高さ約48センチの角柱で、正面に「右ハやまみち 左ハさべみち」、向かって右側面に「和田儀平次立之」と刻まれています。「さべみち」とは佐部への道を表します。
 ここから峠の地蔵へ上る古道から古座川町方面の見事な景観が楽しめます。(2013.11.16)

情報提供:古座川街道やどやの会

霊巌寺

古座川町役場前から国指定天然記念物の「高池の虫喰岩」へと向かう道が熊野古道大辺路の地蔵峠越えルートです。その道筋に沿って流れ、古座川に注ぐ池野山川の対岸に曹洞宗の寺院「霊巌寺」があります。
 立派な山門と城郭のような石垣が目に入りますが、江戸時代、このあたりは富裕な回船問屋や古座組大庄屋の住居があり、そうした経済力が背景にあります。文化財で注目されるのが熊野速玉大社の「熊野本地仏曼荼羅版木」ですが、他に地獄絵図である「十王図」、元禄時代につくられた「大般若経」全巻、どこから見てもウサギと視線が合う「八方睨みの兎」と呼ばれる襖絵などがあります。(2013.11.3)

霊巌寺
霊巌寺山門
八方睨みの兎
八方睨みの兎

情報提供:古座川街道やどやの会

風吹山のミニ霊場

串本町有田の風吹山(標高303m)に四国八十八カ所霊場を模した石仏群からなるミニ霊場があります。風吹山は昔から有田地区の人々のシンボルともいえる山ですが、昭和に入って紀勢本線の停車駅誘致と紀元2600年記念行事のために、有志が企画して、ハイキングコース整備と四国霊場に対応した石仏設置が始まりました。山頂には大きな弘法大師の石像が鎮座していますが、このために木馬(きんま)道をつくり、竹のソリに載せた重さ1トン以上もある大師像を約1.4kmの道のりを大変な苦労をして山頂まで運んだという話が伝わっています。登山道には有志が寄進した石仏が設置されていきましたが、昭和12年(1937年)、日中戦争が勃発し、石仏は31体が建てられたところで計画は中断されました。
ウバメガシなどの照葉樹林帯を通る登山コースはよく整備されており、山頂までは1時間足らずで登ることができます。途中には休憩ベンチと展望所が設置され、眼下に太平洋と潮岬、紀伊大島が見渡せる絶景が広がります。また山頂の第2展望所からは那智方面や熊野の主峰である大塔山、法師山も遠望できます。串本有田病院手前の携帯電話アンテナのところに登山口と駐車場があり、説明看板も設置されています。(2012.6.15)

風吹山1
山頂からの眺望
風吹山2
石仏
風吹山3
登山道を振り返る

情報提供:古座川街道やどやの会

安指平見の大師堂

大辺路沿線には弘法大師信仰の遺跡が数多く残り、大師堂も各地に建てられています。串本町の和深と田子のほぼ中間に位置する「安指平見(あざしひらみ)」にある弘法大師堂もそのひとつで、ユニークなのは、元は大師像の台座であった石に「右ハカイ道(右は街道)」と刻まれ、道案内道標も兼ねていたことです。今はこの台座は大師像と離され、賽銭箱の置き台になっています。台座には「弘化二巳七月 右ハカイ道 安指組 世話人 戌吉」と刻まれ弘化2年(1845年)に造られたことがわかります。(2012.6.8)

安指平見の大師堂
安指平見の大師堂
大師の御影
堂内の大師像
道標だった台座
道標を兼ねていた元台座

情報提供:古座川街道やどやの会

十三代亀山城主の供養塔

13代亀山城主の供養塔湯川温泉の名勝「ゆかし潟」周辺を通る熊野古道大辺路沿いに中世の五輪の塔があり「十三代亀山城主」と説明されています。これは日高郡の亀山城を本拠地として戦国時代に活躍した湯川党の十三代、湯川直春(?〜1586年)が豊臣秀吉の紀州攻めに抵抗して、一旦この地に落ち延びたことに由来する供養塔といわれています。湯川直春は亀山城に自ら火を放って撤退しますが、その後も秀吉軍は湯川勢を打ち破ることができず、本領安堵を条件に和睦することになりましたが、結局直春は秀吉に謀殺されたと伝えられています。(2012.5.20)

情報提供:古座川街道やどやの会

逢阪峠の「いせみち」道標

串本町有田の貝岡地区から逢阪峠に上がる小道に「いせみち」と刻まれた道標石が建っています。「左いせみち 右やまみち」、「文久二壬戌年 施主 若山 為 森藤三郎」と記され、明治36年の県道改修時に撤去された後、地元住民の敷地内に保管されていましたが、近年の急傾斜地工事の際に元の場所に近い現在地に設置されました。
 大辺路で唯一の「いせみち」と刻まれた道標で、伊勢参りとの関連がうかがえる貴重な交通遺跡として平成22年3月に串本町の文化財に指定されました。(2011.06.13)

いせみち道標(正面)
いせみち道標(正面)
いせみち道標(右側面)
いせみち道標(右側面)

情報提供:古座川街道やどやの会

逢阪峠の石塔群

逢阪峠の石塔群逢阪峠の頂上部に3基の石塔が建っています。2基は「大乗妙典塔」、1基は墓石と思われる石塔で、平成22年3月に串本町の文化財に指定されました。妙典塔とは、元の意味は末法の世の後まで法華経を伝えようと、お経を埋蔵した石塔のことで、さまざまな願をかけた供養塔として建てられたものと思われます。
妙典塔には向かって左の塔に「大乗妙典一石一宇之塔 寛政十二申年 施主 結城氏」、右の塔に「大乗妙典一石之塔 宝暦十三未十一月」と刻まれています。
 古道は、この石塔群沿いに通っていたと思われますが、周囲は旧県道や国道の造成にともなって掘削されて急峻な崖になっており、石塔群に行くには旧国道から稲村崎の先端に向かう舗装路に架けられた稲村橋のたもとから入ることになります。(2011.5.8)

情報提供:古座川街道やどやの会

逢阪峠の北向地蔵尊

大辺路の難所であった串本町有田の逢阪峠周辺は石造物が集中しています。国道42号線逢阪トンネル脇から入る旧国道の法面に「北向地蔵尊」と呼ばれる地蔵3体が祀られています。建立年は不明ですが、首から上の病にご利益があるとされ、今も参拝者が絶えません。(2011.5.8)

逢阪峠の北向地蔵尊
逢阪峠の北向地蔵尊
旧国道の法面に安置されている北向地蔵尊
旧国道の法面に安置されている北向地蔵尊

情報提供:古座川街道やどやの会

海門庵

串本町東雨(あずまめ)の高岡民宿から山側に入り、地蔵谷と呼ばれる小さな谷間に入れば、ひっそりと小さな庵が建っています。これが海門庵(かいもんあん)で、弘法大師の作との言い伝えがある子安地蔵が本尊として安置されています。
ここは今は串本町の中心街にある、芦雪の水墨画で知られる無量寺のルーツとなった庵であるといわれています。(2011.5.8)

海門庵
海門庵
海門庵の前の参道
海門庵の前の参道

情報提供:古座川街道やどやの会

大辺路の通り穴

串本海中公園の東側、国道42号線の高濱トンネルの海側に、廃道となった磯の岩山をくりぬいた古い県道のトンネルが残されています。そのさらに下側に、県道の工事で半分以上崩されてしまっていますが、磯辺に自然に開いた穴があります。これがかつて大辺路街道として使われていたトンネルで、平成22年3月に串本町の文化財に指定されました。
 大辺路でもこのような岩穴をくぐって通行する場所は珍しく、いくつかの古文書にも「通り穴」、「岩穴」、「石門」などと記載されています。幕末に紀州藩が編纂した『紀伊続風土記』の東雨(あずまめ)村の項には、「海濱の往還に通り穴といふ岩穴ありて其穴をくぐりて往来す」と記されています。海が荒れたときには山越えのルートを通ったようですが、明治時代にサーカスの一行が通行したときにはゾウがくぐるには穴が小さすぎ、やむなくさらに海側の磯辺を迂回したという話が伝わっています。また、弘法大師が杖の一突きでこの穴を空けて道をつくったという伝説もあります。(2011.5.8)

西側から見た通り穴
西側から見た通り穴
旧県道のトンネル(左上)と通り穴(右下)
旧県道のトンネル(左上)と通り穴(右下)
東側から見た通り穴
東側から見た通り穴

情報提供:古座川街道やどやの会

ニシキトベ(丹敷戸畔)の墓

ニシキトベの墓この地には、神武天皇東征伝説があり、袋港の西側に「御場の鼻(おんばのはな)」と呼ばれる突き出た岩場があり(現在は突堤になっている)、神武上陸の際、ここに船を着けたといわれています。
 また、袋港の西側の山上の森に、神武軍との戦い敗れた先住民の女酋長、ニシキトベ(丹敷戸畔)の墓といわれる石塔があります。(2008.10.20)

情報提供:古座川街道やどやの会

袋港(ふくろこう)

袋港航空写真 国道42号線から熊野古道大辺路へ入るには、袋港の北、JRの線路高架をくぐって200mほど進むと、砂利置場の前で大辺路と合流します。そして大辺路は「くじの川」に沿って田園風景の中を進みます。
 さて、この袋港は古式捕鯨の時代から第二次大戦前まで重要な捕鯨基地のひとつでもありました。幕末から明治初期にかけて活躍した紀州を代表する歌人で国学者の熊代繁里も、安政元年(1854年)3月、旅行中、袋浦で鯨を二頭引き揚げる場面に遭遇し、浜辺の賑わいの様子を日記に書き残しています。(熊代繁里『熊野日記』)(2008.10.15)
                         航空写真提供:国土交通省近畿地方整備局

袋港1
袋港1
袋港2
袋港2
袋港3
袋港3

情報提供:古座川街道やどやの会・市民の力わかやま

澤信坊(たくしんぼう)の道標地蔵

道標地蔵串本と古座の境、JR紀伊姫駅近くの国道42号線沿いに「澤信坊の道標地蔵」が立っています。このお地蔵様は、若いお母さんの乳受けの御利益があるというので、遠方からも祈願に参られます。そのお礼参りの時、地蔵さんに前だれを献納する習わしで、何十枚かの前だれが重ねられています。
 また、このお地蔵様には次のような言い伝えがあります。8代将軍徳川吉宗の享保12年(1727年)頃のことです。太地浦の鯨舟が姫の松原に上陸して一休みした時、若者たちは、この地蔵さんを鯨に見立てて、銛を投げて突く稽古をしたのだそうです。その翌日、漁に出て銛を打ち込んだ大鯨に引きずられて、30名ほどの漁師が行方不明になってしまいました。その時、姫の地蔵さんのたたりと言うことになって、太地の人たちは新しく地蔵尊を寄進して、亡き人の冥福を祈ったそうです。その後、道路拡張などで何度も座位置をかえられ、現在の所に祠が建てられ祭られています。
  なお、地蔵尊の前側には次のことが記されています。(2008.9.7)
  右ハわかやまみち 享保十二丁未
  左ハみさきみち  願主 太地浦 澤信坊

情報提供:市民の力わかやま

旅の弘法大師像

旅の弘法大師像42号線を南下、「メドゥーサの目」のカーブの手前の右手に真新しい立派な像が建っているのが見えます。車を降りて由来説明板を読むと「旅の弘法大師像」とあります。その由来は、昔一夜の宿を乞った旅の僧をこの家の妻女が心をこめて丁重にもてなしました。その夜、この妻女が歯痛をおこし困っていたところ、旅の僧がお経を唱え息を吹きかけて直してくれたとのことです。この僧は弘法大師の化身に違いないと言われ、この坂本家では爾来「弘法大師堂」を建てて祀っていました。
 道路建設、拡幅工事に伴いこの「大師堂」を取り壊すことになり、その代わりにこの「旅の弘法大師像」を平成8年に建立したということです。この像の後ろには「紫陽花」が植えられています。(2008.8.5)

情報提供:市民の力わかやま

トルコのお守り「メドゥーサの目」

国道42号線を南下し、海中公園を過ぎてしばらく車で行くと371号線との分岐を過ぎてJRの線路から離れて走るようになってすぐの右カーブのところの左手の道路際に不思議な円盤状のものが見えます。これはトルコでよく見られる「ボンジュック」と呼ばれるトルコブルーの目玉のお守りです。ガラスや陶器などいろいろな材質で作られ、形は円盤状のものが多いようです。毛髪は毒蛇で、見た物を石にすると言うギリシャ神話のゴルゴン3姉妹の末娘「メドゥーサ」の『目』であると言われています。英雄ペルセウスに退治された「メドゥーサ」のこの『目』は、他人の邪悪な目や悪意からこのお守りを身につけている人を守ると信じられています。
 芝桜の季節には、このあたりの道路は「芝桜ロード」と呼ばれ、この目玉のまわりも芝桜のピンク色になってとても美しいようです。(2008.8.1)

トルコのお守り
トルコのお守り「メドゥーサの目」
由来説明板
由来説明板

情報提供:市民の力わかやま

藤とムクロジ

藤とムクロジ串本町佐部(さべ)の県道(大辺路街道地蔵峠越えルートにあたる)沿いにムクロジの巨木があります。樹齢800年ともいわれ、平維盛が植えたという伝承があり、木全体にからみつくフジと合わせて串本町の天然記念物に指定されています。
 4月下旬には木全体がフジの花に覆われます。ゴールデン・ウィークに紀南方面へ行かれる方は少し足を延ばして見に行かれたら如何でしょうか。(2008.4.24)
 *無患子(むくろじ):実がなり、石鹸に使われたと言う。果物のレイシも同じムクロジ科に属する。

情報提供:古座川街道やどやの会

サン・ナンタンランドとサンゴの湯

サン・ナンタンランドサン・ナンタンランドは、串本町の高台にあり、海を挟んで大島から太平洋が一望できます。各種スポーツレクリエーション施設が整い、本州最南端の温暖な気候と美しい自然を生かした総合運動公園です。「多目的グラウンド」「野球場」「雨天練習場」「テニスコート」、同じ敷地内には温水プールを備えた串本海洋センターもあります。
 たっぷり汗を流したら傍にある「サンゴの湯」に入りましょう。公衆温泉浴場で、庭園つきの浴室、広間の休息室、吹き抜けのあるロビーがゆったりとしたくつろぎの空間が自慢!(2007.3.26)
 ●泉 質:約41度のナトリウム、カルシウム塩化物泉(中性高張性温泉)
 ●所在地:串本町鬮野川1130、JR紀勢本線串本駅から徒歩10分、Tel 0735-62-2001
 ●駐車場:あり(無料 )15台
 ●時 間:11時〜21時、 休業日:毎週月曜日・大晦日・元旦
 ●入浴料:400円(6歳以上12歳未満200円) 

情報提供:市民の力わかやま

九龍島と鯛島

九龍島と鯛島
九龍島(左)と鯛島(右)
鯛島
鯛島

九龍島(くろしま)は亜熱帯植物が群生している珍しい島で、鯛の形に似た鯛島と共に、源平の戦いで勝利を収めた熊野水軍の拠点であったと伝えられています。海岸に沿って走る国道42号からもよく見えます。(2006.3.31)


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