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西本願寺日高別院

西本願寺日高別院西本願寺日高別院は、1540年(天文9年)、吉原(現美浜町)に湯川直光が建立した浄土真宗本願寺派の寺です。豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失し、1595年(文禄4年)、現在地に移転、以来「御坊さん」と呼ばれ、御坊市の名の起こりとなりました。1825年(文政8年)に現在の本堂が再建され、1877年(明治10年)、西本願寺日高別院の称号を得ました。境内には県の天然記念物に指定された樹齢400年あまりのイチョウの巨木がそびえています。土蔵造の家が残る門前町は独特の雰囲気があります。(2006.4.20)

料金 無料
時間 10:00〜16:00
定休日 要問合せ
駐車場 参拝の方は境内に駐車可
(時間帯で駐車できない場合もあります。詳しくはお問合せ下さい)
TEL 0738-22-0518
0738-23-5531(御坊市商工振興課)

日高別院への地図
大きい地図(pdfファイル)はここをクリック

耳より情報

岩内一号墳(岩内古墳群)

岩内(いわうち)古墳群は、日高川河口から約2キロさかのぼった左岸丘陵上に立地しています。
岩内一号墳は7世紀に造営された横穴式石室を持つ方墳です。銀線蛭巻太刀(ぎんせんひるまきたち)が副葬品として発見されたことや、漆塗の装飾のある木棺等であることから、被葬者は身分の高い人物であったと推測されています。その候補として658年に謀反を企てたとされ海南市の藤白坂で処刑された悲劇の皇子、有間皇子が挙げられています。そのため現在も有間皇子に花を手向けにこの古墳を訪れる人が後を絶ちません。
岩内一号墳の周辺には10基以上の古墳が存在していましたが、現在は一号墳と三号墳の2基のみが確認されており、岩内古墳群として県の文化財に指定されています。(2012.2.14)

岩内号墳
岩内一号墳
岩内古墳説明板
岩内一号墳解説板

情報提供:市民の力わかやま

上野山神具店

上野山神具店木造総二階の造りで、一階が作業場と店舗で全面が開口部になっており、左端にショーウインドウが設けてあります。店内は土間と作業場になっており、昭和十年完成したトガ普請≠フ建物です。神具と風呂を商っているのも面白いです。
「トガ普請」とは、木材のトガ(ツガ)を使った民家を言います。トガは非常に目の詰んだ美しい目合いの木材で、針葉樹の中では特に堅いのが特徴です。(2011.11.4)

情報提供:市民の力わかやま

薗徹薬局(そのてつやっきょく)

薗徹薬局和歌山県で初めて薬剤師になられた方の薬局だそうで、平屋の本瓦葺きの建物が連なり、木製の板に彫りこまれた薬の看板が庇下の欄間部分に掲げられた建物です。代々薬業を営んでおり、内部も昔のままで、客の入る土間とカウンター越しに内部は板間で、さまざまな棚や引出しが機能的に並べられています。現在の店舗は国道沿いや大型スーパー内にありますが、この場所の本店も昔と変わらない姿で営業されています。
 薬の看板は「通経霊薬 妙日丸」「不老長壽 アイヨー錠」「ひふ病一切 タムシチンキ」「和漢強壮剤 浮田の五龍圓」「皮膚病治療剤ヒンター」「大学目薬」「婦人病薬 命の母」「含嗽原液 グルゲル」「眼病新剤 ラヂン点眼薬」「肺肋膜気管支霊薬 神霊湯」「痰咳を去り熱を取る 天寿」などの表記で一見の価値があります。(2011.10.27)

薗徹薬局看板1
薗徹薬局看板1
 大学目薬
薗徹薬局看板2
薗徹薬局看板2
  命の母
薗徹薬局看板3
薗徹薬局看板3
  神霊湯

情報提供:市民の力わかやま

正宗屋酒店

大浜通から春日通を北に入ると、風格ある洋風建築を見ることができます。正宗屋酒店で、「酒の小売店舗兼住宅」として昭和3年に建造された鉄筋コンクリート造2階建です。
 正面側は三等分されて柱型を出し、上部に伸びています。中央の玄関には持ち出しの庇が取り付き、その小口には彫刻が施されています。庇の上部には「正宗屋酒店」と彫り込まれた看板があります。2階の窓には、観音開きの窓がついていたようです。屋上部に庇を少し突き出し、パラペットが立ち上がっています。内部は、土間の床に亀甲型の目地が入り、柱や天井には漆喰の細い装飾があるそうです。(2011.10.19)

正宗屋酒店1
正宗屋1
正宗屋酒店2
正宗酒店2
正宗屋酒店3
正宗酒店3

情報提供:市民の力わかやま

茶免の地蔵

茶免の地蔵本尊は延命地蔵尊で古くから地元民の信仰を集めています。「百日咳、カンムシ、長寿に後利益があるとされる」と説明板にあります。祠の傍らにはイチョウの巨木とともに江戸時代名をはせた紀国太夫三味線の豊沢広七、広め屋(東西屋)の豊丸の碑、昭和28年の水害記念碑が並んでいます。
(2011.5.22)

情報提供:市民の力わかやま

翼邸

戦前に建てられた木造2階建てで西側が洋風につくられた個人宅で元医院です。玄関庇や欄干の純粋な和風の部分と鎧張りの洋風部分とつながったいわゆる“和洋接合”の建物です。この建物では鎧張りの部分が白く塗装されモダンな雰囲気を醸し出しています。
内部(非公開)も、洋風部分の2階に、畳敷きの座敷で、壁から天井にかけて洋風、床の間に相当する部分を洋風にデザインするなど興味深い造作がなされているそうで、設計や施工の技術の高さがうかがえます。(2011.5.16)

翼邸1
翼邸1
翼邸2
翼邸2

情報提供:市民の力わかやま

堀河屋野村

小竹八幡神社の近い、江戸時代の木造平屋造りの建物。本瓦の大屋根が覆い、座敷窓を覆うベンガラの格子が長い伝統を伝えています。創業は元禄年間。元は回船問屋だったのがお得意様へのお土産にと作っていた徑山寺味噌や醤油がいつしか本業になったそうです。以来300年、17代(本業になってからは13代)にわたって、堀河屋の味を受け継いできました。かたくなに昔ながらの仕法を守り、現在も手造り一筋で伝統の味を伝えています。(2011.5.6)

堀河屋野村
堀河屋野村
堀河屋野村
堀河屋野村店内

情報提供:市民の力わかやま

日の出紡績のレンガ塀

創業、大正2年(1913年)日高地方の産業革命の先駆けとなった日の出紡績ですが、今は国道と並行して少し東に入ったところに、200メートルほどのレンガ塀のみが往時をしのばせています。
 日本一短いローカル線として有名な紀州鉄道には、日高川駅(1989年廃止)と西御坊駅との間に「日出紡績前駅(1941年廃止)」という駅があったそうです。レンガ塀の近くには、今でも日高川駅と西御坊駅の間で使われていた線路の一部が残っています。
 また、レンガ塀にところどころに見られるくぼみは、大平洋戦争末期(昭和20年7月)の機銃掃射による傷跡で、御坊市に残る数少ない戦争跡地です。(2011.5.3)

日の出紡績のレンガ塀1
日の出紡績のレンガ塀1
日の出紡績のレンガ塀2
日の出紡績のレンガ塀2
日の出紡績のレンガ塀3
日の出紡績のレンガ塀3

情報提供:市民の力わかやま

小竹(しの)八幡神社

小竹八幡神社は、多くの氏子を持つ大神社で御坊祭りの中心となる場所です。御坊の人々は親しみを込めて「しのうさん」「しのうはちまんさん」と呼ぶそうです。本殿には譽田別命(応神天皇:ほむたわけのみこと)・息長足姫命(神功皇后:おきながたらしひめのみこと)・小竹大神(地主神)・天兒屋根命(春日神社主神:あめのこやねのみこと)・紀道成朝臣(きのみちなりあそん)夫婦之神靈をお祀りしています。
 神社は古くは現在の御坊市立体育館付近にありましたが秀吉の紀州攻めの際に焼失、その後、延宝6年(1678年)に紀州藩祖・徳川頼宣公別邸の薗御殿跡地を譲り受け、現在の位置に遷宮したそうです。祭礼は10月4・5日に行われ、「人を見たけりゃ御坊祭」といわれるほどで、紀中地方きっての盛んな祭で、特に「四ツ太鼓」「けほん踊り」が有名です。(2011.4.29)

小竹八幡神社鳥居
小竹八幡神社鳥居
小竹八幡神社
小竹八幡神社拝殿

情報提供:市民の力わかやま

清姫の腰掛け石

清姫の腰掛け石上野王子よりさらに旧道を南下すると、駐車場内に清姫の腰掛け石があります。
安珍清姫伝説の清姫が安珍に追いついた時、安珍の呪文で目がくらみ、この石に腰を掛けて休息すると上半身が蛇形になったといわれています。
この石にはくぼみが残されており、清姫のお尻の形であると伝えられています。(2010.11.22)

情報提供:市民の力わかやま

中皇命の歌碑

中皇命の歌碑中皇命の歌碑は、国道42号線沿いの海産物卸商はし長の横にあります。
歌碑には「吾が欲りし 野島は見せつ底深き 阿胡根の浦の 珠ぞひろはぬ」と、中皇命(なかつすめらみこと)がこの歌碑がある名田町の野島のことを詠んだ歌が刻まれています。阿胡根の浦とはこの歌碑がある周辺の海のことであるといわれています。この歌碑がある場所からは美しい海を見ることができるため、中皇命が野島をみたいと望んだ理由が感じられるようなところです。(2010.11.4)

情報提供:市民の力わかやま

清姫の草履塚

清姫の草履塚塩屋王子近くの王子橋から国道42号線を南に1.3km(徒歩20分)行ったところを右に入ったところに「爪書大師堂」があり、さらに国道42号線を1.3km(徒歩20分)南下し、国道から右手に入る旧道を少し進むと左手に清姫の草履塚があります。
 安珍清姫伝説の清姫が、この場所にあった松の大木にのぼり安珍の行方を見渡し捜したところ、安珍が日高川を渡っているのが見えたため清姫は、草履を脱ぎ捨て裸足になり追いかけたと伝えられています。またこの松には、安珍が袈裟をかけて逃げたという一説も残されており袈裟掛けの松ともいわれています。この松は残念ながら今は残されておらず、石碑がたっています。(2010.10.26)

情報提供:市民の力わかやま

爪書大師堂

爪書大師堂は、塩屋王子より南塩屋漁港を目指し南下すること徒歩約20分の場所にあります。
爪書大師堂の裏側には弘法大師が爪で仏の姿を書いたと伝わる大岩があります。その大岩の壁面に水をかけると、信仰心の厚い人には、弘法太師の御姿が映るといわれています。そのため柄杓を置いてくれていて、自由に水をかける事が出来ます。ただし、信仰心のない人が、水をいくらかけても御姿を見る事が出来ないといわれています。(2010.10.15)

爪書大師堂
爪書大師堂
大岩の壁面
大岩の壁面

情報提供:市民の力わかやま

Sioトープ(日高港塩屋緑地)

Sioトープ ねずみ男Sioトープ(日高港塩屋緑地)は、日高川を渡り国道42号線を南下することすぐの日高港内にあります。
Sioトープは、海水が流れる親水池を取り囲むように緑地公園が広がっており、親水池の磯辺には日高港周辺に生息する小魚などが放流されています。また公園内には、「水木しげるが描くゲゲゲの鬼太郎と和歌山の妖怪」像が設置されています。
子どもたちが妖怪を知り、海の生物を間近で観察することができる場として利用されています。(2010.10.8)

Sioトープ カシャボ
カシャボ
畳み叩き
和歌山の妖怪 畳み叩き
Sioトープ
親水池の磯部

情報提供:市民の力わかやま

九品寺(くほんじ)

法林寺から南に向かって歩くことすぐの場所にある九品寺は、かつては末寺56ヶ寺を有していた浄土宗の寺院です。
案内がないため分かりにくいですが、境内にある大名塚は、悲運の死をとげた松平頼雄の供養塔とされています。松平頼雄は八代将軍徳川吉宗の従兄弟で、伊予西条藩主の嫡子でありながら、実の父に疎まれ無罪の罪により廃嫡され、謎の死をとげています。頼雄はここ九品寺で暗殺されたとも伝えられています。
また、運慶の弟子である運誉作といわれる阿弥陀如来座像や慈覚大師の作といわれる金仏立像や観音像といった文化財も所蔵しているお寺です。(2010.9.30)

九品寺
九品寺
松平頼雄の大名塚
松平頼雄大名塚

情報提供:市民の力わかやま

石敢當(せきかんとう)

湯川小学校付近の民家に「石敢當」と刻まれた石碑があります。
見落としがちですが一基は塀の中に埋め込まれた状態、そしてもう一基は三差路の道路の突き当たりの位置にあります。
石敢當はT字路などの突き当りに設けられ、魔物の侵入を防ぐ魔よけ石です。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされています。石敢當は中国で発祥し、日本では沖縄や鹿児島、宮崎などに多く見られますが、和歌山県内で確認されているのはこの二基とされ、誰がこの場所に置いたかは謎とされています。(2010.9.10)


塀に埋め込まれた石敢當

三差路の石敢當

情報提供:市民の力わかやま

法林寺

法林寺は、湯川子安神社より湯川小学校に向かって歩くこと10分程の場所にあり、第11代亀山城主、湯川直光が永禄5年(1562年)に一族の菩提寺として創建した日高地方で最も古い浄土宗の寺院です。
湯川氏は大変信仰が厚く、湯川家が断絶した場合を考えて、自分の子供である三男民之進を法林寺の初代住職としました。
境内には湯川氏の供養塔である宝篋印塔がたっています。また湯川家は清和源氏武田氏の分かれと伝えられており、法林寺の瓦などには武田家とのつながりを示すとされる浮線蝶の紋を見る事が出来ます。(2010.9.3)


           宝篋印塔

          浮線蝶の紋

情報提供:市民の力わかやま

湯川子安神社

この湯川子安神社は、室町時代、日高地方一帯を治めていた豪族「湯川直光」が、ご息女の安産を祈念して、亀山城内の明神社に元官幣大社と浅間大社の御分霊を勧進したところ、無事安産されたことが信仰の始まりとされています。場所は、JR御坊駅に近いところ、「小松原館」があった場所です。
もともと湯川氏は近くに建っていた亀山城に住んでいましたが、お城は寒くて住みにくいという理由から亀山の山麓に居館を構え、こちらを亀山城の平時の居館として使っていたということです。水堀の一部と城址碑も残っています。(2010.7.29)

情報提供:市民の力わかやま

日高港新エネルギーパーク(EEパーク)

日高港EEパーク「日高港新エネルギーパーク」は、国道42号線を御坊市から南下、日高川を渡ってすぐの日高港ないにあります。新エネルギーの研究・普及を目的に、研究施設(太陽光・小型風力・バイオマス発電・小型水力・複合発電など)、PR施設(新エネルギーの展示など)、公園施設(ソーラーカーコース・芝生広場)などがある全国初の複合施設です。入場料は無料で、子どもの学習の場、地域の憩いの場として利用できます。月曜日(祝日の場合は翌日)が定休日です。(2009.11.15)

ソーラーカー
ソーラーカー
バイオマス発電
バイオマス発電
小型水力発電
小型水力発電

情報提供:市民の力わかやま

上野王子跡と仏井戸

上野王子跡
上野王子跡
仏井戸
仏井戸

上野王子跡・写真提供:和歌山工業高等専門学校 環境・福祉ボランティアサークル「amoeba(アメーバ)」

上野王子跡は、海側の旧道上野漁港近くの名田漁民センターと土地改良区センターの間に石碑が建っていて、うっかりすると見落しそうです。
 この王子跡は、江戸時代の王子跡で、旧地は北の山手側に少し行った国道42号線沿い500m北の「仏井戸」の場所にありました。その上野王子が火災にあい、本地仏の阿弥陀如来、勢至菩薩、観世音菩薩が消失していまいました。そこで、王子を今の場所に移すと同時に、二度と本地仏に火災で熱い思いをさせないため、本地仏を刻んだ一枚岩を井戸の底に沈めたのです。それから、この井戸を「仏井戸」と呼ぶようになりました。(2007.9.25)

情報提供:市民の力わかやま

和田・フレッド・勇さん顕彰のレリーフ

和田・フレッド・勇さん顕彰のレリーフ東京にオリンピックを招致した日系二世の実業家として知られるフレッド和田さんは、亡くなった後、御坊市の名誉市民(第1号)に選ばれ(平成16年)、その功績をたたえるレリーフが御坊市役所の中庭にあります。

フレッド和田さんは御坊市名田町出身の在米二世で、苦労して実業家として成功し、終戦後まだ間のない頃、全米水泳選手権に参加した日本選手団の宿泊先に自宅を提供するなどしました。また、昭和39年に開催されるオリンピックに東京が立候補した時に、他の有力地を押さえ事前の予想を覆して東京が選ばれた陰には、フレッド和田さんの献身的な働きがあった事が知られています。(20007.1.12)

情報提供:市民の力わかやま

御坊市を走る紀州鉄道

紀州鉄道車両「紀州鉄道」は御坊市に路線を持つ鉄道で、端と端の駅の距離がわずか2.7kmしかなく、日本一短いローカル線として有名です。駅は全部で5つあり、端の駅は御坊駅と西御坊駅です。御坊駅から乗車の場合は学門・紀伊御坊・市役所前・西御坊の順に電車は通過します。
御坊市を悠々と走るこの電車は、何か哀愁を感じさせてくれる感じがします。鉄道自体の長さもとても短く、他の電車に比べて、何かかわいく感じます。
また、車窓から見える御坊の景色も哀愁を感じさせてくれると思います。(2006.7.16)

情報提供:和歌山工業高等専門学校 環境・福祉ボランティアサークル「amoeba(アメーバ)」

歴史を感じる町並み

日高別院周辺の古い町並み42号線を日高川北側で東に曲がり、古くからある松原商店街を抜ける途中にある西本願時日高別院周辺は御坊市で最も古い町並みが残るところです。黒壁やしっくいの白壁、格子窓などの民家が残り古い別院の雰囲気とよく調和しています。(2006.3.31)

情報提供:わかやまインターネット市民塾

塩屋王子

塩屋王子神社日高川を渡り国道42号線を南に向かってしばらく行くと塩屋王子神社があります。この王子は別名を「美人王子」と言い、祈願すれば美人の子が授かるというので、子安神社としての信仰が盛んです。(2006.3.31)

情報提供:わかやまインターネット市民塾

情報提供:団体名


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日本風景街道 熊野 〜シーニックバイウェイ紀南〜

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