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救馬渓観音

救馬渓観音の写真救馬渓観音(すくまだにかんのん)は、今から約1300年前修験道の祖「役の行者(えんのぎょうじゃ)」によって開山された紀南地方最古の厄除霊場です。この名前は600年位前、「小栗判官(おぐりはんがん)」が湯の峯温泉へ行く途中、乗っていた馬が病のため倒れたので、参拝し祈願するとたちまちのうちに馬の病が良くなったことに感激し、馬を救った観音様ということで、こう名付けたことに由来します。(2006.4.20)

駐車場 500台(無料)
TEL 0739-47-1140

耳より情報

大賀ハス(田中神社横)

大賀ハス田上富田町岡、田中神社横の大賀ハス田の大賀ハスがチラホラと優雅な花を咲かせ始めました。今日から7/20まで大賀ハス祭りが開かれています。その中で ・俳句 ・写真 の募集を7/30までしています。
また、お隣の「ひょうたん畑」では、ひょうたんもふくらみ始めています。(2012.7.10)

詳しくは上富田町HPをご覧ください。
http://www.town.kamitonda.lg.jp/kami40/oogahasu/oogahasu.htm

大賀ハスの花
大賀ハスの花
投票箱
俳句箱
ひょうたん
ひょうたん

情報提供:花つぼみ

田中神社

田中神社は、熊野古道中辺路(なかへち)の八上王子(現八上神社)と稲葉根王子(いなばねおうじ)の中程辺りの珍しく名前通りに田の中にある神社です。国道311号線から岡川(おかがわ)に沿って遡る県道沿いに、周囲を田に囲まれた小さな社叢の中にあり、すぐに分かります。この神社は昔、田中神社から6kmほど上流にある岡川八幡神社の上手の倉山という山から大雨のときに森全体ごと流れ着いたのだと伝えられています。余程の大洪水だったのでしょうか。
 社叢は全体を藤で覆われており、この藤は、南方熊楠の命名により「オカフジ」と呼ばれてます(右の写真、鳥居の前にかかって見えるのがオカフジ)。また、「大賀ハス」も有名です。社叢の傍の池で七月から八月にかけて、うす紅色の花を咲かせます。(2007.12.12)

田中神社の社叢
田中神社の社叢
田中神社
田中神社

情報提供:市民の力わかやま

三栖王子

左会津川を渡り、報恩寺を前に左手の山側の熊野古道らしい雰囲気の道をのぼってゆくと梅林の中に「三栖王子跡」の碑が立っています。ここからは見晴らしが良く、周辺を見渡すことが出来ます。熊野御幸記には「ミス王子」とありますが、すぐ下を流れる谷川に王子社が映って見えることから、江戸時代には影見王子と呼ばれていたようです。現在は、珠簾(みす)神社に合祀されています。
三栖王子の隣には、額田王の万葉歌「三栖山の 檀弦(まゆみつら)はけ わが夫子(セコ)が射部(いめ)立たすもな 吾が 偲ぶばむ」の歌碑が立っています。(2007.12.11)

歌碑と案内板、三栖王子跡
歌碑と案内板、三栖王子跡の碑
三栖王子跡
三栖王子跡の碑

情報提供:市民の力わかやま

浄覚山報恩寺(通称:善光寺)

善光寺ソテツと本堂浄覚山報恩寺(通称、善光寺)は、もと知法寺といって、創立は室町前期?と言われています。。戦国時代に一度焼失しましたが、後に竜口山知法寺として再建されました。本尊は、薬師如来でした。しかし、平安時代の尾張の国に定導法師と呼ぶ僧がおり、夢に信州信濃の善光寺さんが現れて「私の仏像を七体造って全国に分ち安置するよう」とのお告げがあったので、その通りにして祀った一体が報恩寺の御仏体であると伝えられています。そういうこともあってか、明治18年に高坊の善光寺如来を知法寺本堂西側に移して、これを本尊とし、大正5年寺名を浄覚山報恩寺と変えました。この境内には、ミニ西国33観音霊場があります。同じように、この「ミニ西国33観音霊場」は、岩屋山観音、千里観音、救馬渓観音にもあります。(2007.12.4)

善光寺拝観図
善光寺境内案内図
観音菩薩と岩のトンネル
14番如意輪観世音菩薩と岩のトンネル

情報提供:市民の力わかやま

三栖廃寺塔跡

三栖廃寺は7世紀後半の白鳳時代に創建されたといわれ、当時一町四方に法隆寺様式の伽藍をもつ、牟婁郡豪族の氏寺だったといわれます。現在の三栖廃寺塔跡は2004年11月に復元されたものです。塔基壇上には「心礎」と呼ばれる正三角形の礎石が残っており、発掘調査からこの基壇は1辺約9メートルの瓦積みで、その規模から三重塔と推定されます。これほど立派な寺があったことは、下三栖も熊野地方の文化の中心として栄えていたと推定されます。
今は、その寺があった所に写真のような「史跡三栖廃寺塔址」の記念碑がたてられています。(2007.11.18)

三栖廃寺跡
三栖廃寺塔跡
三廃寺塔跡碑
三栖廃寺塔跡碑

情報提供:市民の力わかやま

秋津王子

秋津王子跡この王子の名は、藤原定家の熊野御幸記に秋津王子として初めて登場します。秋津にあったことは明らかですが、会津川の度重なる氾濫で元の場所はわかりません。柳原という所から笠松跡、安井へと移転し、明治以降は豊秋津神社にまつられました。王子は、小さい石碑のみになって見過ごしてしまいそうな場所にあります。(2007.11.12)

情報提供:市民の力わかやま

万呂王子

万呂王子跡藤原定家の熊野御幸記(ごこうき)に秋津王子に参ったあと「山を越えて丸王子にまいり」とあり、室町時代には、この万呂王子は神館と呼ばれた程、立派な王子であったと言われています。しかし現在、その山はまったく確認できません。川の氾濫でこの当たりの王子は転々と移設されたようです。従って、芳養王子から三栖王子までのルートも、ほとんど確定できません。現在標識等で表示しているのは、江戸時代以降の街道であったり、便宜上歩ける道を選んでいる部分が多い状態です。
 万呂王子は、明治10年に須佐神社に合祀され、その後、田になってしまいました。現在は熊野橋から50mほどの北の田の畔に標柱があり、そのあたりが王子の跡です。(2007.10.18)

情報提供:市民の力わかやま

紫陽花の名所

紫陽花救馬渓観音は山全体が境内です。その山の頂上には展望台があり、天神崎から白浜、紀州の山々の360度の眺望が楽しめます。また、境内(山)全体を手入れして、すばらしい庭園化を今も進めています。春は桜、初夏は紫陽花、秋は紅葉と四季それぞれを彩る草木が境内に配置されています。5〜6月は勿論、見事な紫陽花です。紫陽花に、萩と自生のササユリが趣を添えてくれます。2mも成長したササユリにはビックリします。(2007.6.12)

萩
紫陽花2
紫陽花2
巨大ササユリ
巨大ササユリ

情報提供:市民の力わかやま

八上王子

八上王子跡八上神社。祭神は天照大神。口熊野・田辺から本宮へ向かう熊野古道「中辺路」の道筋にあり、古くは八上王子と呼ばれる熊野九十九王子のひとつでした。
 天仁2年(1109)に熊野を詣でた藤原宗忠(むねただ)の日記『中右記(ちゅうゆう)』には「田辺の王子に奉幣後、萩生山口で昼食をとり、山を越えて新王子社に奉幣した」と記されており、この新王子社が八上王子で、天仁2年(1109)ころに設けられた王子であることが伺われます。
 境内には、西行法師(1118〜1190)の歌の石碑が建てられています。
「待ち来つる八上の桜咲きにけり あらくおろすな みすの山風」(『山家集』上 春 98)(2007.3.11)

市民の力わかやま


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