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湯の峰温泉

湯の峰温泉日本最古の温泉、また熊野詣の湯垢離(ゆごり)場として有名な湯の峰温泉では、つぼ湯と湯峰温泉公衆浴場でお湯を楽しめます。
また、温泉卵作りもできます。(2006.4.22)

つぼ湯

つぼ湯つぼ湯は2〜3人でいっぱいになるこじんまりしたお風呂で1日に7回お湯の色が変わると言われています。

湯峰温泉公衆浴場

湯の峰温泉公衆浴場湯峰温泉公衆浴場には一般湯、くすり湯、貸切湯、休憩場、温泉くみとり場があり、いろいろな楽しみ方ができます。

料金 公衆浴場 大人250円、小人(12歳未満)130円
くすり湯 大人380円、小人(〃)190円
つぼ湯 大人750円、小人(〃)450円(公衆浴場料金を含む)
時間 公衆浴場 6:00〜22:00
くすり湯・つぼ湯 6:00〜21:30
定休日 なし
駐車場 あり(無料)
TEL 0735-42-0074

耳より情報

小栗判官遺跡「車塚」

小栗判官遺跡「車塚」今から五・六百年余り前、都から常陸の国に流された小栗判官は照手姫と恋に落ち、義父の許しを得ず婿入りしたため毒殺されます。照手姫も川に流され苦行の日々を送ることとなりました。小栗判官は閻魔大王の計らいで餓鬼の姿でこの世に戻されました。目・耳・口もきけず手足も不自由な身の小栗を、閻魔大王の意を汲んだ「藤沢の上人」が土車(土を運んだ木製の台車)を作って乗せ、「この者を、一引き引いたは、千僧供養、二引き引いたは、万僧供養」の添え書きを貼り、熊野本宮大社の湯の峰へ運んでいく最初の役割を果たします。大勢の人が代わる代わるこの土車を引いて各地を旅し、熊野に向かってゆきます。その途中、再び照手姫とも出会い、彼女の愛と道中多くの人の情けで湯の峰に辿り着きます。そして熊野権現の加護と薬湯の力で元の小栗判官の姿に回復します。車塚はその土車を埋めたところと伝えられています。(2011.8.1)

情報提供:市民の力わかやま

東光寺と玄峰塔

東光寺東光寺(とうこうじ)は天台宗の寺院で、山号は薬王山です。湯の峰温泉の中心部にあり、最初の温泉噴出地に、湯の花が自然に積り、薬師如来の形となったものを本尊(湯峯薬師)として創建されたと言われています。そしてその本尊の胸から温泉が噴出していたため、「湯の胸温泉」と呼ばれていたものが転訛し、現在の「湯の峰温泉」の名になったとされています。
 その傍らに建つ「玄峰塔」は、この湯の峰の地に生まれた紀州熊野が誇る昭和の大僧正「山本玄峰」自らが、96歳の入寂2週間前に揮毫された「書」を彫ったものです。山本玄峰老師は、公平でかつ平和を願う姿勢を曲げなかった不動の人物とされ、昭和期最大の禅僧と言われました。老師の真実の意見を求めて、終戦時の鈴木貫太郎首相や吉田茂、池田勇人両首相をはじめ多くの著名人が参禅されました。(2010.5.4)

情報提供:市民の力わかやま

大日越え

湯の峰温泉で休憩後大日越えルートで大斎原に向かいます。湯の峰温泉周辺は国の天然記念物の「ユノミネシダの自生地」です。坂道を登って、鼻欠地蔵まで来るとそこからは下り坂、約1時間半で熊野本宮大社に到着します。赤木越2時間30分・大日越1時間30分、湯の峰温泉で1時間休憩、全行程5時間のコースです。
 さて、「ユノミネシダ」は亜熱帯性のシダで湯の峰で発見された。国の天然記念物でこの地が自生地では北限となるそうです。
 また、「鼻欠地蔵伝説」があります。江戸時代初めの有名な彫刻師「左甚五郎(ひだりじんごろう)」が湯の峰に仕事に来ていたそうです。本宮に泊まり「大日越え」で湯の峰に通っていました。弟子は甚五郎の弁当を持って大日峠を越え、弁当を甚五郎に届けていましたが、毎日、峠にあるお地蔵さまに弁当を一箸分供えて師匠の安全を祈っていました。甚五郎はいつも一箸分弁当が減っているのを、弟子が盗み食いしているものと勘違いしていました。ある日、些細なことを理由にその弁当持ちの弟子の鼻をチョンナ(木材をはつる大工道具)で削いでしまいました。弟子は血まみれでその場を逃げ出しました。
 その日の夕方、仕事を終えた甚五郎は、やり過ぎたことを悔やみながら、峠にさしかかると、そこのお地蔵さまの鼻がまるでチョンナで削がれたように欠けており、血が流れていたということです。(2008.8.18)

ユノミネシダ
ユノミネシダ自生地
鼻欠地蔵
鼻欠地蔵

情報提供:市民の力わかやま

赤木越え

湯川王子から三越(みこし)峠を越え、猪鼻王子⇒発心門王子⇒熊野本宮大社に向かうのが熊野詣の本道です。これとは別に赤木越⇒湯の峰温泉・湯の峰王子⇒大日越⇒大斎原⇒熊野本宮大社のコースがありました。猪鼻王子の手前に船玉神社、その手前が赤木越えの分岐点で右に道をとると赤木越の湯の峰温泉ルートです。途中に鍋破(なべわり)地蔵や柿原茶屋跡などを見ながら湯の峰温泉に2時間半ほどで着きます。(2008.8.13)

鍋破地蔵
鍋破地蔵
柿原茶屋跡
柿原茶屋跡

情報提供:市民の力わかやま

湯峰王子

湯の峰王子大齋原から大日山を越えて湯峰温泉へ下る道を大日越えと言います。下っていくと直ぐに湯峰王子社が見えてきます。鎌倉時代末の正中三年(1326年)の『熊野縁起』に湯峰童子と初めて登場する比較的新しい王子社です。
 熊野本宮大社から熊野那智大社へ陸路で向かう小雲取り越えへの出発点となっていた王子社です。また、逆に那智大社から大雲取越え、小雲取越えを行い、湯峰温泉で休息した後、本宮へ寄らずに熊野古道赤木越えで船玉神社方面へ直接帰路をとったとも言われており、番外の王子社とされる由縁です。
 湯峰王子はかつて熊野本宮大社の末社となっていました。今でも4月15日の例大祭に先だち13日の早朝、温泉に浴して身を清め、宮司・宮総代などと華麗な赤地錦の装束をまとい巴紋の小太鼓を抱いた稚児が肩車をされて湯峰王子の社殿に登り神事を納め、大日峠を越えて熊野本宮大社に向かう湯登神事が今も続いています。(2008.1.14)

情報提供:市民の力わかやま 和歌山県

小栗判官ゆかりの「力石」と「まかずの稲」

小栗判官ゆかりの「力石」と「まかずの稲」小栗判官(おぐりはんがん)蘇生の地としての文化財として地元では大切に保存継承されているものです。(小栗判官に興味のない方はがっかりされるかも知れません。)

熊野のいいところは、生活につながった巡礼の道だというところです。この集落も、全体が地元民により大切に保全されているそうです。筆者はこの集落の石垣も大好きでして、来る度に和ませてもらっています。(2006.3.31)

力石

小栗が湯治の間、体力の回復を試すために持ち上げた大小の石を人々は「力石」とよんでいます。

不蒔(まかず)の稲

小栗が髪を結わえていたわらを捨てたところに稲が生え、毎年米が実り続けることから「まかずの稲」といわれています。

情報提供:つれもてネット南紀熊野


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