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歌碑・句碑めぐり

南紀白浜は歴史と温泉の街です。その風情や風景に魅せられた歌人たちの歌や句が刻まれた歌碑・句碑が多く建てられています。
碑の前に立ってあたりの風景・風情を味わってみてください。詠まれた時代から変わらない白浜を感じることができます。

昭和天皇の歌碑

昭和天皇の歌碑雨にけふる神島を見て
 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
               昭和天皇

昭和天皇が昭和37年白浜町行幸の際、宿の屋上から雨に煙る田辺湾を見下ろしたときに、かつて神島に上陸して南方熊楠と生物の研究をしたことを回想して詠まれたものです。
南方熊楠記念館のある山の上、田辺湾を見下ろすところにあります。

瀬戸の歌碑(万葉集から)

瀬戸の歌碑牟婁の浦の瀬戸の崎なる鳴嶋の
 磯越す浪に濡れにけるかも
               万葉集から

万葉集第十二巻三一六四に記されている歌です。
本覚寺の近くの県道沿い、海側にあります。

青々の句碑

青々の句碑貝を見てあとは桔梗を眺めけり
               松瀬 青々

松瀬青々(1867年〜1937年)
正岡子規の高弟で俳誌「倦鳥(ホトトギス)」を主宰しました。
本覚寺境内にあります。

三浪の句碑

三浪の句碑桃の花古里なれバ裏も行く
               岡本 三浪

岡本藤佐衛門(俳号:三浪)(1892年〜1965年)
この地の南家の次男で、地元有志の文学サークルの同人として活躍していました。京都の石問屋岡本秀次郎(俳号尺角・松瀬青々の高弟)の娘婿となり、妻清子とともに「倦鳥」に投稿していました。
熊野三所神社内、神馬の像の奥にあります。

其桃の句碑

其桃の句碑陽炎やうしろ山まで砂しろき
               三千堂其桃

三千堂其桃(きっちょう)(1867年〜1931年)
其桃は、下関の医師西尾彌三郎の俳号で、昭和6年このホテルに滞在中病により客死しました。この句碑は、其桃を偲んで建てられたものです。
白良浜に面して建っている白良荘グランドホテルの浜側通用口の近くにあります。

西行の歌碑

西行の歌碑波寄する白良の浜の烏貝
 拾ひやすくも思ほゆるかな
               西行法師

白良浜に沿う浜通りから白良湯の方に入ったところにあります。

憲吉の歌碑

憲吉の歌碑紀の国の温泉(いでゆ)の濱に児をつれ来
 はな菫摘むも冬と思わず
               中村 憲吉

中村憲吉(1889年〜1934年)
アララギ派の歌人で、この歌は昭和2年(1927年)白浜に滞在した折にたくさん詠んだ歌の中の一首です。
浜通りから白良浜中心に向かって入ったところにあります。

渓花坊の句碑

渓花坊の句碑雲に聳ゆる神の国梅かをる
               本田渓花坊

渓花坊(けいかぼう)
大阪の柳人。門下である白浜の水上柳堂が師に請うて建てたものです。川柳の句碑というのは、珍しいそうです。
浜通りから銀座通りを上がっていった山王神社の境内にあります。

塊亭の句碑

魂亭の句碑目に立つや白良の濱に烏二羽
               松尾 塊亭

松尾塊亭(かいてい)(1732年〜1815年)
紀州藩士であり、俳人でした。文化5年(1808年)に白浜に来たときに詠まれた句で、上の西行法師の歌に基づいています。
浜通りの白浜エネルギーランドの少し南、道路わきにあります。近くの「有間皇子の碑」の方が大きいので、そちらが先に見つかります。

茂吉の歌碑

茂吉の歌碑ふる國の磯のいで湯にたづさはり
 夏の日の海に落ちゆくを見つ
               斎藤 茂吉

斎藤茂吉(1882年〜1953年)
アララギ派の歌人で、精神科医でもあります。
有名な外湯「牟婁の湯」の前にあります。

虚子の句碑

虚子の句碑温泉のとはにあふれて春尽きず
               高浜 虚子

高浜虚子(1874年〜1959年)
昭和8年、熊野巡遊の際に詠まれた句です。
外湯・崎の湯の北、白良浜を見渡すことのできる海辺にあります。すぐ近くに真白良姫像があります。

湊太夫の句碑

湊太夫の句碑千金の春もあらしの夕桜
               豊竹湊太夫

四代豊竹湊太夫(1800年〜1844年)
湯治のため白浜町湯崎に来ていました。請われて浄瑠璃を指導していましたが、この地で没しました。
湯崎バス停から坂道を上がっていった金徳寺(こんとくじ)境内にあります。

人麻呂の歌碑

人麻呂の歌碑風莫(かざなし)の浜の白浪いたつらに
 ここに寄せ来る見る人無しに
               柿本人麻呂

柿本人麻呂
飛鳥時代の歌人で三十六歌仙の一人です。
外湯・綱の湯のむかい、交差点の角にあります。

虚子の句碑

虚子の句碑白濱の牡丹桜に名残りあり
               高浜 虚子

高浜虚子(1874年〜1959年)
昭和8年に虚子が熊野を巡遊した帰り、白浜に一泊。翌日綱不知桟橋から田辺へ向かう時、桟橋のそばの牡丹桜の大木が満開であったことを詠んだ句です。
この碑の右にある木がそれでしょうか。
上の人麻呂の歌碑から御幸通りに入ってすぐ、綱不知公園の中にあります。

耳より情報

山口誓子の句碑(むろべ)

誓子の句碑山口誓子(明治34年(1901) - 平成6年(1994))は京都市出身の俳人です。高浜虚子に師事して「ホトトギス」の同人となり、後に「馬酔木(あしび)」の同人となりました。「南紀白浜湯処むろべ」の駐車場入り口に、誓子の句碑があります。

「炎天に清流熱き湯なれども  誓子」

誓子は、昭和38年の夏に崎の湯へ行く手前で、温泉の噴出しているところを見つけました。炎天下に沸騰した温泉が清流となってあふれ出る様に感動してこの句を作ったようです。昭和39年10月に、白浜町大浦に建立されましたが、後に現在の場所へ移されました。(2013.8.10)

情報提供:市民の力わかやま

山口誓子の句碑(堅田)

山口誓子の句碑山口誓子(明治34年(1901)-平成6年(1994))は京都市出身の俳人です。高浜虚子に師事して「ホトトギス」の同人となり、後に「馬酔木(あしび)」の同人となりました。
 観光客で賑わう「とれとれ市場」の東に堅田漁協があり、ここの白珠寮の敷地に誓子の句碑があります。建立は昭和41年5月です。

 「真珠作業場絶対静止の海  誓子」

白浜といえば、三段壁に象徴されるような太平洋に面した荒々しい海岸をイメージしますが、田辺湾に面した堅田の海は、綱不知(つなしらず)と呼ばれるほど、静かな海です。
「絶対静止の海」と表現したくなるほど、取材の日も静かな漁港でした。
白浜町では、ここ堅田以外にも、温泉宿むろべに句碑が建てられています。(2013.7.28)

情報提供:市民の力わかやま


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